吉田浩太監督インタビュー2018

2018年3月24日(土)、25日(日)、31日(土)、4月1日(日)の4日間、「吉田浩太監督による俳優のための実践的ワークショップ」が行われます。開催にあたり、講師である吉田浩太監督に緊急インタビューをしてきました。吉田浩太監督がどのように俳優と接してきたのかなど、興味深いお話を聞かせていただきました。聞き手は、アクターズ・ヴィジョン代表・松枝佳紀(まつがえ・よしのり)です。

——

映画「愛の病」企画成立秘話とワークショップでの出会い

マツガエ:映画「愛の病」は大傑作でした。

ヨシダ:そう言っていただけると嬉しいです。

マツガエ:2012年にプロデューサーの木村俊樹さんから、女性犯罪者を主人公とする実録事件もので映画を作りたいと僕のところに話がありました。で、いくつかの事件のことを良く知っている人がたまたま僕の知り合いだったので、ご紹介した。それがこの映画の始まりで、その時に初めて吉田浩太監督とも出会った。

ヨシダ:そうです、そうです。そうでした。

マツガエ:だからあの企画立ち上げから5年経っているわけじゃないですか、僕はてっきり、立ち消えになっちゃったのかと思っていました。

ヨシダ:なかなか主演のエミコにぴったりの女優さんがいなくて、たしかに途中諦めかかったんですけど、これも偶然マツガエさんの主宰するワークショップで、瀬戸さおりさんに会った。瀬戸さおりさんに出会わなければ、この映画は今頃も成立していなかった。

マツガエ:それもふくめて本当に良かった。僕はワークショップを、作り手と演じ手の出会いの場と考えているので、みごとにそれが実を結んだ感じがしています。

ヨシダ:本当に、彼女に会えて良かったと思っています。

マツガエ:他にも、藤田朋子さんだとか北山亜紀子さんだとか平子哲充くんだとか、うちのワークショップで知り合った俳優さん女優さんたちを使ってくれている。それがとてもうれしいです。

ヨシダ:やっぱりマツガエさんのワークショップには良い俳優が多いんですよ。だから、次の作品に合う役が無くても、いつかぴったりの役が出てきたときにお願いしたいと思う人が、何人もいる。

映画「愛の病」で何を描きたかったのか

マツガエ:企画段階で、女性犯罪者の事件って、いくつも候補があったじゃないですか、その中で、この「マリオネット殺人事件」を題材に選んだのは、木村プロデューサーですか?

ヨシダ:いえ、選んだのは僕ですね。いろんな事件の話の中で、この話が一番興味をそそられました。

マツガエ:どの部分に興味をそそられたんですか?

ヨシダ:この「マリオネット殺人事件」は、ある女が電話で声を変えて、いかついヤクザの声真似をして、ある男をマリオネットのように操って殺人を犯させるっていう変わった事件です。声だけで男を騙していくっていう構造も面白いですし、騙される男側の状況も興味深い。たぶん途中で男は気づくんですよ。自分の惚れている女が電話の相手だって。気づくけれども、騙され続け、結局女のために犯罪を続ける。というのが、とても興味深い事件、なかなか他に例を見ない事件だと思います。

マツガエ:この映画見ていて思ったんですが、瀬戸さおりちゃん演じるエミコは、そんなに露骨に、男の声をやろうとしていないように見えた。

ヨシダ:映画の頭のほうは男の声をやろうとしています。しかし、次第にエミコとシンノスケの間に不思議な信頼ができてくるとともに、エミコは嘘をつきたくなくなるんですね。自分でいたくなる。自分自身として、シンノスケに対峙したくなるんです。で、次第に声真似もやめて、自分の声で電話をするようになる。

マツガエ:それを受け入れるシンノスケが素敵だった。あの、エミコとシンノスケ、2人の絆が素敵だった。

ヨシダ:そこがやりたかったことの一つなんです。

マツガエ:あの関係は他の映画で見たことが無い。

ヨシダ:実際の事件がもとにはなっているんですが、ちょっと逸脱しちゃってる部分がある。やっぱりエミコがなぜあのように生きねばならなかったかという根本的な問題も描きたかったので。

マツガエ:エミコがあのように生きねばならない根本的な問題って何なんでしょうか?

ヨシダ:簡単に言うと「宿命」ですね。映画のタイトルじゃないんですが、「愛」みたいな部分が彼女にはあって、その部分が彼女の「宿命」としてどうしてもある。親に「愛」を与えてもらえず、さらに「愛」を与えてくれない男を「愛」してしまって捨てられたりを繰り返す。その一方で、本当に「愛」してくれる男については、「愛」を返すんじゃなくて騙してしまう。彼女はそうやって「愛」に飢え続ける人生を選ぶことが「宿命」づけられている。どうして普通に生きいきたいだけなのにうまくいかないんだろうっていうことの連続として彼女は生きてるような気がして、それが彼女のある種の「宿命」としてある。結局、そこにどう向き合って生きていくのかだと思うんです。「宿命」っていうのはある意味彼女のアイデンティティーであるというか、彼女らしさでもあると思うんですね。だからこの映画、それを彼女自身が肯定していくことができるかどうかという話なんじゃないかと。

マツガエ:なるほど。だからあのラストシーンなんですね。あれはうなりましたね。エミコが自分の子供に対して最終的にああいう選択をする。賛否両論あると思うけど、僕は好きでした。

「愛の病」によってこれからが変わる

マツガエ:吉田さんの作品はこれまでほとんど見させていただいていて、その手腕にいつも感銘を受けています。なにが素晴らしいかというと、吉田さんの映画は、人間の感情が沸き上がったり、他人と関係して感情や行動が変化する様を、端折らないで丁寧に描いている。それが素晴らしいと僕は思っています。エロいシーンを、「エロいシーンですよ」と記号的にやらないで、本当に見ている者が登場人物と同じように「発情してしまう」ようなことをやっている。で、これまでの映画では、その吉田さんの丁寧な描写が、恋愛やエロを中心に冴え渡っていた。しかし、今回の「愛の病」では、そうではないところで、俳優さんにかける吉田浩太のいつものマジックが効いている。それがエロではないという意味で、これまでの映画ラインナップ的には異色な映画だと思っています。

ヨシダ:これまでの作品は、企画としてもエロくする要請があって、そこをだいぶ気にしていたんですが、今回もエロくするようにという要請はあったんですけど、まあいいやと思ってやりました。でも、ちゃんと露出しているし、やっていることはやっているので、配給的には全然OKだったみたいです。

マツガエ:映画「愛の病」の凄いところは、さっき吉田さんが言われたような主人公のエミコの宿命みたいなものから出てくる憎悪だったり、哀れさだったり、必死さだったり、凛々しさだったりという感情と行動を、女優の瀬戸さおりさんを本物にすることを通して、きちんと描いているところだと思います。いままでの作品で「恋愛的な感情のやりとりを描くこと」に集中していた演出が、今回の作品では、エミコを「人間として描くこと」に集中している。

ヨシダ:ずっとエロをやってきて、そろそろエロじゃないところで勝負したいなとはずいぶん前から思っていたので。

マツガエ:これから吉田浩太監督と組もうと考えるプロデューサーとかが、「愛の病」みて、エロじゃない映画の企画を吉田さんところに持ってくるようになるんじゃないかと推察します。

ヨシダ:いまんところそんな話ないですねえ。

マツガエ:いやいや、これからですよ。通常、映画の企画が立ち上がって、監督候補で監督の名前がいくつか挙がって、たいがいプロデューサーは吉田さんの作品を見ていないから、どんな映画撮る監督なんだろうかと、それから映像を取り寄せて観るわけですよ、普通。で、見たら、「面白いじゃないか、この監督はエロじゃなくても行けるんじゃないか」となる。そっからですよ、エロじゃない映画のオファーが来るようになるのは。だからこれからの話です。でもそうなるためにも、「愛の病」はいま撮っていて良かった作品だと思います。

ヨシダ:そうですね。そうなったらいいですねえ。

処女作から「愛の病」まで、潜んでいる共通テーマ

マツガエ:大学はどこに行かれたんでしたっけ?

ヨシダ:早稲田です。教育学部に行ってました。

マツガエ:教育学部?なんでまた?

ヨシダ:勉強したかったんです笑

マツガエ:先生を目指してたとか?

ヨシダ:いや、教育学部ですけど、先生になりたかったわけではなくて、社会福祉とかそっちのほうに興味あったんですよね。教育社会学とか真面目に勉強していました。

マツガエ:ええ、意外。

ヨシダ:でも勉強つまんなかったんで、ひまで、映画観るようになったって感じですね。社会福祉とか言ってる人間だったんで、結構固い人間だったんですけど、それが一気にばーんて反動的にはじけてしまった笑

マツガエ:最初に撮った映画ってなんでしたっけ?

ヨシダ:最初は「落花生」という映画でしたね。

マツガエ:どんな映画なんですか?

ヨシダ:男が女の子に買われるんですよ。上京してきて家がなくなっちゃって、デリヘルの女の子がいて、その女の子に買われるんですよね。で、つれてこられてそこで落花生をひたすら食ってるっていう話です笑

マツガエ:えええ、なんかテーマが「愛の病」に共通してますね。あと、江口のりこさんと染谷将太くんの「ユリ子のアロマ」とかもそんな臭いがするし。強い女の人が、少年だったり弱い男の子を買うっていうかコントロールするっていうことが、吉田さんの描きたい映画の中には根本的にある気がします。そう考えると、やっぱり吉田さんは作家ですね、描きたいものに明らかに一貫性があります。なんか実体験あるんですか?

ヨシダ:いや、実体験は無いんですけどねえ。童貞の時から、美しい人に飼われたいという願望があった笑…のかもしれません。

セルフプロデュースとしての「エロい監督」

マツガエ:でも、そろそろ脱エロしたいということでしたが、これまではエロい映画を撮る人という印象があって、実際そういう映画ばかりでした。どうしてエロい映画ばかりだったんですかね?

ヨシダ:根本的に「僕自身がエロいから」というのが答えだと思うんですけど、ある種自分で無理やり、そう仕向けているところもあるんです。

マツガエ:と言うと?

ヨシダ:例えば、えんぶゼミに通ってたんですけど、そこには、すごくたくさん人がいるんです。みんな監督志望なんです。そうすると監督するという意味での自分の特色ってなんだろうって考えるんですよね。そう考えていると、自分は根本的にエロに対してめっちゃ興味がある人なんじゃないかなと思ったんですよ。で、決めたんです。エロい監督になろうって。

マツガエ:エロい監督!実際になったね。なれたね。すごいね!「エロい監督」ってセルフプロデュースだったんですねえ。

ヨシダ:これけっこう役者さんにも言ってて、自分のよさとか魅力って大事じゃないですか。それはなんだと思う?って聞いたときにだいたいみんな、わかんないんですよ。「模索中です」とか言うんですけど、模索してるやつは一生わかんねえよと思う。そこはもうある程度強引に決めるしかないと思うんですよ。俺だって決めたの二十歳とかだし。

マツガエ:二十歳ですか、早いですね。そこが吉田さんの凄いところですね。

ヨシダ:そうしないと俺は正直才能もないし生き残っていけないなと思ったんで、そういう風になろうと決めたんですよね。で、まんまとそういう企画が来るようになって、監督としてそこそこやれるようになった。そうなると、今度は、それが呪いのように自分を縛るようになって、エロい企画以外が来なくて困ってるんですけど笑。でも例えばTSUTAYAとかの棚にあるDVDに吉田浩太っていう名前が書いてあるだけで「この映画エロい」って思ってもらえるとしたら、それは自分の武器になってるし、自信にもなるだろうし、仕事的にもやっていけるじゃないですか。だから悪いことじゃないと思うんです。

俳優を「本物」に追い込む吉田浩太演出

マツガエ:真山明大くんが主演している「うそつきパラドックス」あるじゃないですか。

ヨシダ:真山くんも、マツガエさんの舞台に出てるのを見た登山さんが推薦してくれたのきっかけに主演するのが決まったんでした。

マツガエ:あの映画は、ひどい言い方をすれば歴史に残る映画じゃないと言うか、映画史的に言及しなければいけない映画じゃないと思うんですけど、でも僕はとても好きで、というか、あの映画を見ると「浮気」したくなるんです。遠い恋人よりも目先のエッチなことに走りたくなる。その気持ちがわかってしまうというか、その気持ちに観客をさせるというのが、吉田浩太マジックというか。

ヨシダ:笑

マツガエ:「ちょっとかわいいアイアンメイデン」も素晴らしいと思っていて、あれ、出演している人たちは演技的にはみんなうまくはないんで、そこ最初はひっかかるんですけど、だんだんそんなこと気にならなくなるというか、芝居は下手なんだけど、「思いが本物」だから、気にならなくなる。レズ映画で初めて胸がキュッと締め付けられた。学校に拷問部があるというめちゃくちゃな設定で、真剣に見る映画じゃないようなパッケージをしているけど、まぎれもなく、死ぬほど愛し合っている姿があって、それはエロとかギャグとか越えて、僕は切なく神聖な気持ちになりました。ある意味、庵野さんの、シン・ゴジラとか、エヴァンゲリオン的なもの。意志で、世界の壁を突破していこうという激しい情熱があり、そこに共鳴して胸が熱くなりました。

ヨシダ:いや、そんなふうに見てもらって本当にうれしいです。そういうふうに僕の作品を見てくれる人は少数ですね。だいたいエロ企画とかはパッケージで判断されちゃうから、そっからもうハミ出ないから。マツガエさんみたいに見てくれると僕は本当に嬉しいです。

マツガエ:で、考えたんですよ。グラビアアイドルとか演技の素養の何もない人を使ってどうしてあんな素晴らしいものを作れるんだろうと。その方法の秘訣は、僕は吉田浩太監督がいつも言われている「追い込み」ってやつにあるんじゃないかと思ったんです。先日、二人で話してた時に、アクターズ・ヴィジョンでやったオーディションで、これから撮影されるある大きな映画の主人公に決まった女の子がやってきて、僕ら相談されたじゃないですか。どうやれば演じることが出来るのかって。彼女の中にはその主人公のもっている性質が無くて困っているって。その時に吉田さんはこう言われたんですよね。その性質を自分は持っていないと頭っから否定してかからないほうがいいって。きっとあるんだから、それを引っ張りだして、その人になるしかないんだって。監督を信じて覚悟を決めるしかないって。そうしたら、数日後、撮影初日、彼女がものすごかったらしい。プロデューサーからメールがあった。彼女に決めて良かったと。

ヨシダ:それは良かった。

マツガエ:これはひとりの女優さんに対する吉田浩太さんのアドバイスという例なのですが、もし吉田さんがこの映画の監督だとしたら、「自分が出来ないと最初から否定しない、必ず自分の中に役とのリンクはある、役に似せていくのではなくて覚悟して役そのものになる。監督を信じる」という方針のもと、彼女を追い込んでいくんだろうって。

ヨシダ:人間が他人になるなんて無理だと思うんです。でもその無理を承知で突破しようと無茶苦茶をやる。その時にきっと何かが生まれると思うんです。

マツガエ:わかります。「追い込み」って何なのかというと、演じることに伴う嘘くささを吹き飛ばす方法なんだと思うんです。「正気」を吹き飛ばして「狂気」に至る方法と言うか。

ヨシダ:いや、本当です。芝居や映画なんて「正気」じゃできないんですよね。

マツガエ:だから今回のワークショップ、2日と短いですが、吉田さんの「追い込み」に対応できるかを見たいというか、実際に「追い込み」をやってみるか、あるいは「追い込み」にふさわしい魅力ある人物をピックアップする場所にするか、というのをやりたいと思っています。

ヨシダ:わかりました。考えておきます。

俳優として可能性のある人

マツガエ:どういう人と出会いたいとかありますか?

ヨシダ:やっぱり感受性のある人じゃないかなぁ。演じることにおいてその部分が死んじゃってる人はどうしようもない。ワークショップやって、瀬戸さおりさんに主人公をやってもらおうと決めたのは、やっぱり瀬戸さんの感受性の部分だったんですよね。演じるにあたって、自分をばっと役に捧げられるひとだなぁっていう印象があったんで。だからワークショップとかで僕は俳優のそういうとこしかあんま見てないですね。

マツガエ:言われてることはわかるんですが、「感受性」って言う言葉はわかるようで曖昧なので、もう少し具体的に言うことは可能ですか?

ヨシダ:やっぱり反応ですよね。反応をいかにビビッドにできるかってことが感受性だと思っています。だから、たとえば何かに感動することだったりとか、傷つくことだったりとか、起こったことに対するリアクションだったり、敏感さだったり、とか、それを常に感じられる人であるというのが、大事だと思うんですよね。それってやっぱり頭で考えることじゃない。日々日常のなかでどういうふうに感じてるかってことだと思うんです。そこは頭じゃなくて体で反応できるというか。そういう人がやっぱりいいなと思いますね。

マツガエ:それすごく大事ですよね。ぼくもそう思います。それって画面に映り込みますしね。本心って透けて見える。だから本当に感じるしかない。で、本当に感じる心をいかに育てるかってことが俳優の日々の訓練としては大事だと、僕も思うんです。ちなみに、感受性のないようにみえる俳優は、オーディションやワークショップでは採用しないってことですよね?

ヨシダ:そうですね。まぁ鍛えればできるのかもしれないけど、鍛えるのには時間がかかるし。ちゃんと感じて、それを表に出せる人がいいですね。そのためには、俳優側が、自分の感受性に自信を持つことが大事だと思うんですよ。やっぱり自分自身をちゃんと好きでいられるというか、魅力的だと思えないと、感受性って死んじゃうと思うんで。その部分をしっかり握れるかどうかっていう話ですよね。でもだいたいの人は握れてないんで。

マツガエ:握れないのはなんでなんでしょうね?

ヨシダ:やっぱり怖いんじゃないですかね。人から否定されたりとか、今まで生きてきたなかでそれが例えばコンプレックスだったりとか、自分で否定としてとらえちゃってるというか。頭ではわかっていても体がもう否定としてとらえてるというか。そうするとどうしても固くなっちゃうじゃないですか。そういうことに対して必要なのは、俳優が自分自身を体で信じてあげれるようにするっていう作業だと思いますけどね。

マツガエ:俳優って、本当に感受性だけですよね。美人であるとかかっこいいとかブスとかそんなのどうでもいい。大事なのはいかに感じるかっていうことだけなんですよね。感じることが俳優の仕事だと思うんですよね。で感じることが他人にばれちゃうのは、別にエロいことに限らず、恥ずかしいことじゃないですか。だから普通人間って隠すと思うんですけど、それを隠さないことも俳優の能力ですよね。

ヨシダ:でも隠しちゃうのって、家庭環境だったりとか、どうしてもしみついちゃってますよね。隠そうとしてなくても隠しちゃうみたいなとこがあるんで、そこはやっぱり取っ払うことができるようになってほしいなと思います。

マツガエ:それを取っ払う作業が、吉田さんが現場でやる「追い込み」ってことですよね。

ヨシダ:そうですね。それをしないと、その人なりの何かが見えてこないと思うんですよ。そうじゃないとやっぱり見ててもおもしろくないですからね。

俳優を育てる欲望

マツガエ:追い込みって、作品を作るためには非常に有効だと思うんですけど、俳優の成長のことを考えると、どうかなって思うんです。追い込まれないと輝けなくなっちゃうというか。蜷川さんところにいた子たちを見るとすごくそう思うところがあって、蜷川さんの追い込みがありきになってしまう。

ヨシダ:たしかに、そこは問題なんですよね。俳優に興味があるので、ひとつの作品だけじゃなくて、継続的に、その俳優を成長させるというか、プロデュースしたいという気持ちがすごいあるんですよね。

マツガエ:ああ、それは僕もあります。

ヨシダ:だから、マツガエさんは俳優ワークショップをやっているんだろうし。

マツガエ:そうですね。

ヨシダ:一つの作品で関係を終わりにするんじゃなくて、続けて育てて開花させたいみたいな気持ちはあります。

マツガエ:確かに、これだって思う俳優を育てるのは楽しいです。こういうラインナップで映画や舞台への出演機会をつくってやれば階段あがっていけるし、たぶんこの3作品めくらいから大ブレークするだろうとか。ブレークするためにはどのような線で売ってどのような戦略で売ってどのような見せ方でいけばいいのかっていうことを考えるのは楽しいと思うんですよ。戦略を。

ヨシダ:やっぱり他人を育てたいっていうものは純粋な欲求としてあるなぁと思う。それもそれですごくいいなと思う。僕がフリーだったらそういうことやってるかもしれない。

結局、映画で何を描きたいか

マツガエ:そこまでして映画で何を描きたいとかありますか?

ヨシダ:感情とかって言っちゃうと大雑把過ぎるからあれだけど、人間の持ってる無意識の感情だったり、心の動きだったりとか。逆に言うとそこしか自分は興味がないんだろうなって最近すごく思うようになってきたんですよね。細かいことって映画にたくさんあると思うんですけど、決めなきゃいけないこととか、ぼく比較的そういうのどうでもよくて、そういうところは演出部に任せちゃいたいぐらいで。人間の中核となるなにか、「これだ」みたいな、「この感情がおもしろい」みたいなものしか、あんまり興味ないんですよ。そこを描ければなんでもいいんだろうなって。

マツガエ:それを描くときに、俳優たちには、その場でその感情に「本当に」なってほしい、という、そういうことですよね。編集とか見せ方でそういうのを表現するんじゃなくて、本当に苦しいとか悲しいとか嬉しいとかやらしくなるとか愛するとか捧げるとか、本当にやってほしいっていうことですよね。

ヨシダ:編集ってもちろん大事なんですけど、撮れたものがダメだったら、どんなに編集したってだめだと思うんですよ。やっぱり撮れるものが大事だと思っています。演劇って言うのは何回も繰り返さないといけないので違いますが、映画というのは一瞬だけでいい。一瞬だけでも本物があればいいんです。その一瞬だけでも120%の瞬間を生み出せるように俳優とともに準備して、それを撮る。自分が映画撮るときの一番のモチベーションはやっぱりそこですし。そこだけなんでしょうね。

(2018年2月15日、新宿三丁目にて)