西谷真一監督インタビュー2022

本インタビューは、これからアクターズ・ヴィジョンで行う「NHK連続テレビ小説「あさが来た」や土曜ドラマ「ひきこもり先生」メイン監督、西谷真一さんによる俳優のための実践的ワークショップ」に向けて行われたインタビューです。インタビュアーは、アクターズ・ヴィジョン代表の松枝(マツガエ)です。

松枝:この度は、アクターズ・ヴィジョンの俳優ワークショップの講師を引き受けてくださってありがとうございます。

西谷:こちらこそありがとうございます。

松枝:このインタビューは「西谷真一監督による俳優のための実践的ワークショップ」を受講しようかどうしようかと考えている人たちに向けて、西谷さんがどのような演出家なのかを知ってもらうために行うものです。

西谷:わかりました。

松枝:まず、西谷さんがどうしてNHKでドラマを撮る演出家になったのかを教えてほしいのですが、さかのぼって、西谷さんは、子供の時はどんな子供だったんですか?

西谷:子供のころですか。うーん、子供のころは、機関車の運転士になりたかったですね。

松枝:理由とかありますか?

西谷:動くものが好きだったんですね。とくに、蒸気機関車が好きで。ぼくの子供のころの田舎ではまだ普通に蒸気機関車が走っていたので、毎日学校が終わったら、駅の裏に行って、走る蒸気機関車を飽きずに眺めているというのが、日常でしたね。

松枝:映画の父と言われるリュミエール兄弟が撮った映画にありますよね。

西谷:ラ・シオタ駅への列車の到着」ですね

松枝:そうです、それ。無理やりかもしれないけど、西谷さん蒸気機関車の動くのを毎日飽きずに見ていたというのは、「映画の父」リュミエール兄弟が最初に映画として残してみたいと考えた原初にある動機につながっているように思えます。

西谷:いや、それは無理やりすぎるかもしれないけど(笑)、でも確かに動くものを飽きずに見ると言うあの体験は、いま現場で俳優たちの芝居を飽きずに見ているのと重なるかもしれないし、その面白いものを、映像として残したいと言うのが、根本的な僕の中にある欲望かもしれませんね。

松枝:しかし、その機関車好きがこうじて、映画を撮ろうとか演出家になろうとかそういうことに直結したわけではないんですよね?

西谷:中学校で、当時アイドルだった南沙織さんのことが大好きになっちゃって。彼女はCBSソニーの秘蔵っ子だったから、僕もCBSソニーに入って、彼女のレコードとかを作ったりしたいと思って、夢が機関車の運転士からCBSソニーレコーディング・ディレクターになることになったんですよね。でも、その思いも長くは続かなくて、あるときに物語を書く人になりたいと思って小説家を目指そうと思ったりして、書くためには小説の何たるを知らねばならないと思って、毎日一冊以上の小説を読んで、とりあえず一年間、手当たり次第に小説を読みました。でも、それも自分の本当にやりたいことじゃないなと思って。

松枝:蒸気機関車を見る少年からドラマの演出家に直結するかと思ったら、いろいろと紆余曲折したんですね。「映像を作ろう」という思いに到達するきっかけは何なんですか?

西谷:自分のテレビが欲しくなったんですね。高校生の時。それでオヤジにねだって、自分専用の13インチのカラーテレビを買ってもらったんです。本当に安い奴なんですけど、それを手に入れてから、テレビ漬けの毎日を過ごすようになって。テレビ漬けと言っても、TVドラマを見ると言うよりも、淀川長治さん解説の日曜洋画劇場とかそういうのばっかり見てました。小説の時もそうだったんですけど、一日一本は映画を観ようという気持ちになりまして。見まくったというか。

松枝:ひとつに興味を持つとそこに徹底的にこだわるという性質なんですね。

西谷:飽きっぽいんですけど。

松枝:でもその映画を見ると言うのは今も仕事にしているわけですから飽きなかったんですね。

西谷:ぼくの父親がもともと写真好きだったんです。月に1,2回、暗室を家に作って、写真を現像しているのを見ていました。なにもないところに、映像がウワッと浮かび上がる感じが面白くて、それに蒸気機関車のダイナミックな感じを写し取りたいと言う気持ちが芽生えて、小説も好きだったんですけど、小説だけだとなんか物足りないというか、やはり映像が見たかったんですよね。想像するだけではなくて、それを「誰の目にも見える具体的なものにしたい」という欲望が湧いたんです。それが映画やドラマ演出をやりたいと言う気持ちにつながって行ったんだと思います。

松枝:毎日一本映画を見ておられる中で、具体的に背中を押してくれた作品はありますか?

西谷:日曜洋画劇場を見続けていたら、ある時ヴィスコンティ『ベニスに死す』を観まして、覚えているのですが淀川さんが解説ですごく褒めていて、だけど子供の僕にはあんまりわからなかったんですね。でも、ただ美しいな、見たことがない映像だなというのは分かって。それからチャップリンの『街の灯』も同じく日曜洋画劇場で見て。これにはものすごく感動しまして。もう泣きじゃくって見て、映画ってすごいんだなと打ち震えました。それと、これは日曜洋画劇場ではなくて、NHKなんですけど、齋藤耕一監督の『約束』というショーケン(萩原健一)岸恵子さん映画をやっていて、それを観たら泣けてきて。こんなに人を感動させられる仕事に就きたい。映画を作りたい。その時に思ったのを覚えています。

松枝:高校生の時に目覚めたんですよね。では、その後、早稲田大学に入られますが、大学時代には映画作りに励まれたということですかね。

西谷:いやあ、それがそういうわけじゃないんですね。早稲田の第一文学部の演劇専攻っていうところに入ったんですが、もっぱら、授業では映画史とか映像論とか受けて、早稲田出身の映画監督の母胎となっている映研には、僕は入らなくて、とにかく京橋にあったフィルムセンターに毎日通って、昔の映画を一日一本必ず見るみたいな生活を送ったんです。

松枝:映像を作りたいと思ったのに、行動するよりも、一日一本映画を見ることを続けたんですね。

西谷:そうなんです。それが僕の悪いところと言いますか、慎重すぎると言うか、まだ撮る準備ができてないと思ったんですね。それで、相変わらず、テレビで日曜洋画劇場見たりする日々を送っていて、大学時代の4年間が過ぎてしまいました。そんな時、友達が「なんで西谷君映画撮らないんだ、撮ろうと思えばとれるじゃないか」と言ってきて、というのも機材の発達があって、ビデオを撮ろうと思えば撮ることができた時代ですから、それを使えば、稚拙なものにはなるでしょうが、映画は撮れる。そう友人に言われて、ようやく撮ることに踏み切ろうと思ったのが、大学四年の時でした。

松枝:撮られたんですか?

西谷:撮りました。

松枝:人生初の映画ですね。何を撮られたのでしょうか?

西谷:物語じゃないんですよ。自分の生活をそのまま撮ったドキュメンタリーが、ぼくの撮った最初の、映画とも呼べるかわからないですが、映画なんです。

松枝:どこかに出したりしました?

西谷:いえ、誰にも見せてません(笑)、見せてませんが、自分で見たところ、意外にちゃんと撮れるもんだと感心してしまって。それまで、偉大な映画をたくさん見てしまっていたから、どうしても「自分なんかが」と思って怖気づいていたところがあると思うんですよね。でも、一旦、勢いで撮ってしまってみて、見たら、意外に行ける。もちろん、ヴィスコンティチャップリンの域に行くには当然沢山の段階があってそこに到着するにはまだまだなのはわかるのですが、僕の「大好きな動くものを撮ってみたい」というところは、意外に行けているなと自信を持ったんです。

松枝:ついに映像をとることに踏み切ったわけですね。

西谷:それでシナリオ書いて、友達集めて、自主製作映画を撮り始めたんです。ほんとにお金かけずに作りました。

松枝:そういったタイミングで西谷さんNHKに就職をされます。NHKを選んだのは、ドラマを撮りたいと思われたからなんでしょうか?

西谷:NHKを選んだわけではなくて、結果として僕を採用してくれたのがNHKだけだったということなんですね(笑)。自主映画を撮り始めて、映画を作ることに魅了されていますから、やっぱりそれを職業にしたいと思うわけです。そこで映画会社は片っ端から受けて、テレビ会社も片っ端から受けましたが、全部落ちて、結局、採用してくれたのがNHKだけだったというのが本当です。

松枝:とはいえ、NHKに入られたのは、映像を撮りたいからでもありますよね?

西谷:そうです。だから、NHKに入社して最初についた仕事が科学番組だったから、すごい腹が立って「なんでドラマ部にいかせてくれないんだ」と思ったんですよね。でも我慢して2年間、科学番組作った後に北九州に転勤になったんです。北九州は、小説家の藤原新也さんとか、知り合いのプロデューサーとか、いまに連なる大事な人間関係を培う場所になったのですが、その北九州でぼくは初めてドラマを作ったんです。藤原新也さんが主演で、脚本も藤原新也さんが書いて。それが東京のNHKドラマ部に伝わったんですね。「北九州に自ら企画して撮影をする、そういうガッツがあるやつがいる」って。それで東京のドラマ部に異動できたんですね。それが28歳くらいです。それからはずっとドラマ畑を歩いてきました。しかし、やっぱり、子供のころから映画を見続けているせいか、映画に対するあこがれは絶対的なものがあります。ドラマが本職で、ドラマにたくさん育ててもらったわけですが、しかし、やっぱり、今でも映画を一本でも多く撮りたいという気持ちがあります。プロデュースとか企画とかには一切興味がなくて、映画を監督することに非常な興味があります。これからも、死ぬまでにあと何本撮れるかわからないけれども映画は撮っていきたいなと思っています。

松枝:なるほど。とはいえドラマで給料をもらいながら、人脈も作り、経験も増やし、演出を磨いていくという、恵まれた場所にいたわけですよね。

西谷:たしかにとても恵まれた場所にいたというか、いまも居ます。いまはNHK本体じゃなくて、NHKエンタープライズという関連会社に居ますが、だからこそ外部で映画を撮ることも許されている。周りも上司も、そういう僕を応援してくれている状況にあるので、感謝しないといけませんね。

松枝:これは個人的興味で聞くのですが、NHK本体西谷さんは就職されたんですよね?

西谷:はい、そうです。

松枝:それが今はNHKエンタープライズという制作会社にいる。NHKと、NHKエンタープライズの差って何ですか?

西谷:NHK本体は国民の受信料をもとに、いわゆるドラマの制作もやりますがニュースやその他の番組もやったりする、いわゆる公共放送NHKです。エンタープライズはその関連会社としてドラマの制作を請け負ったりする場所で、株式会社なので、社員は独自事業として映画を作ったりすることもできます。

松枝:そうなんですね。

西谷:NHKエンタープライズにいる人間は三種類いて、まず、NHKエンタープライズに就職し最初からNHKエンタープライズで働いている者、それから出向という形で、NHK本体から出向してきて働いている者、あと僕みたいに転籍っていう、NHK本体を退職してエンタープライズに転籍者として入社する者、この三者がいます。

松枝:なるほど。西谷さんは年齢的なことでエンタープライズに来たということですか?

西谷:そうです。連続テレビ小説「あさが来た」が終わったときに56歳だったんですね。その後どうするかといったら、NHK本体で全然違う仕事をするか、辞めるか、或いはエンタープライズにいくかのどれかだったんですけど、概ねみんなエンタープライズに行くことを希望するんですね。それで僕も希望したら行けたという感じです。

松枝:それはやっぱりドラマというか、作品を作り続けたいという気持ちと、あと逆に映画にも近づくわけじゃないですか。

西谷:そうなんですよ、それが大きいですね。

松枝:現場の話とかもお聞きして良いですか。最初にドラマの現場に付かれたんですよね?それは助監督みたいな?

西谷:僕は変わってるんですよ。普通の人は東京の本体で、大河ドラマとか朝ドラで、サード助監督とかフォース助監督から入るんですけど、僕は北九州にいた時に、ドラマを監督してしまっている。助監督経験なしに。

松枝:最初が逆に監督なんですね。

西谷:そうなんですよ。甘い汁を最初に吸っちゃったという感じですね。だから、本体のドラマ部に入れてもらって、初めてやったのが大河ドラマの「翔ぶが如く」だったんですが、そこの現場では下っ端の下っ端から全部やりました。制作からロケマネから助監督から、スケジュールもやったし、一年間で全部覚えました。最後は演出までやらせてもらえました。

松枝:すごいですね、ドラマ作りのイロハを一年で全部教わったことになりますね、それは通常のことなんですか?

西谷:いや、僕がやっぱり特殊だったんだと思います。

松枝:一年で全部習うってだいぶ恵まれていますね。

西谷:そう思います。いろんな経験をさせてもらいました。それが29から30歳にかけての一年間です。

松枝:次にどういう仕事につくんですか?

西谷:まあ自分の希望もあるんですけどやっぱり会社なので、そこがやっぱりフリーの監督とは違う所なんですけど、そのあとは一本自分の企画の単発ドラマ「秋桜―コスモス―」っていうタイトルなんですけど、キャスティングも自分でして、演出やって、亡くなられた新井満さんっていう作家さんと脚本作って、それを撮ったり。短い4,5回で終わるようなドラマのセカンド、サードの演出をやらせてもらってたりしてたら、ちょっと組合で頑張りすぎちゃって「お前はうるさいから大阪に飛べ」とか言われちゃって飛ばされて、それで大阪に五年間不毛な時代がありましたけど。でもそこで朝ドラの「ふたりっ子」っていう現場を経験しました。毎日朝から晩まで撮影があると言う、飛ばされてその現場についたんですけど僕にとっては天国のような場所でした。

松枝:撮るべきものが毎日あって、毎日何かをチャレンジ出来て、毎日評価が下されるという、映画監督が欲しくても手に入れられない本当に得難い場所な気がします。

西谷:とはいえ、不満もありました。というのも、NHKは本数は一杯撮れるんですけれども「自分の企画を撮る」っていうのはものすごく難しくて、プロデューサーの出した企画ならいざ知らず、演出家の企画ってなかなか通らないんですよ。僕この仕事40年やっているんですが、思い通りの企画ができたのは4,5本です。だから、当時の僕は、企画や脚本もご自分でやって好きな物を撮れる映画監督のほうを逆にうらやましいと思ってました。

松枝:そのようにドラマを撮り続けている歴史の中で、西谷さんは、たとえば2015年、連続テレビ小説「あさが来た」では今世紀最高平均視聴率を記録していまだに抜かれていないなど、結果を出しておられますが、そのあとも、2019年の土曜ドラマ「サギデカ」や2021年の土曜ドラマ「ひきこもり先生」など、チャレンジをし続け、結果を出し続けておられます。40年ですか、ドラマの演出をやられていると、やはり、余裕でこなせるようになるものなのでしょうか?

西谷:ドラマを作るプロセスは、引きで見ると、どの作品も同じかもしれませんが、クローズアップで見ていると、その作品ごとに問題は違います。なのでどんなにやってもこなせるようになることは無いと思います。ただ、変化はあると思います。

松枝:「変化」とはどんな変化ですか?

西谷:若いころはというか、「あさが来た」をやるころまでは、ものすごく緻密に撮ってきたと思います。特に、朝ドラは4カメありますから、事前に何をどうとると言うのをカット割り含めてきちんと決めて撮らないといけないんです。そして、それ以上に、僕に絵にこだわりが強くありましたので、いろんなことを決めて撮影に望んでいました。それが、「あさが来た」が終わってから、僕的に変化がありました。いろんな方々からのアドバイスもあって、もう少し、スタッフや俳優に任せて撮ってみるのも良いのではないかと、ずっと言われ続けていて、若いころは、そういうアドバイスに反発も抱いていたのですが、やってみたら、カメラマンの腕と俳優の力で思わぬ画が撮れることがあって。それから、緻密にカット割りして「決めて」芝居を組み立てていくのではなくて、任せてみるということをやるようになってきて現在に至っています。スタッフや俳優さんたちのおかげで、僕の想像力を超えた、驚くような素晴らしい、真に迫ったシーンが現場で生まれることが増えたように思います。

松枝:作品ラインナップ的にはどうですか? 朝ドラから大河から土曜ドラマから、見事な作品群で、やり切った感はあるんじゃないでしょうか?

西谷:傍から見るとそう見えるのかもしれませんが、とくにスタッフや俳優たちに任せる手法で撮るようになってから、新しい感動に現場で出会い続けているので、そうですね「やり切った」感は正直まったく無いですね(笑)、撮れる限りこれからも撮り続けたいと思っていますし、たとえNHKをやめた後でも、誰がついてこなくなったとしても、ボケて撮れなくなるまでは、自主製作映画でも構わないので、妻と二人で映画を撮り続けたいと思っています。

松枝:奥様と映画を作るんですか?

西谷:妻とは結婚して16年になるのですが、時間ができると、彼女が車両を運転して、現場では、ブームをもって音撮りを担当してくれて、僕が演出とカメラをやって、自主映画を作っています。もう15本ほど作っているんです。

松枝:そうなんですね、すごい!

西谷:それは本当に趣味ですよ。一緒に作ってくれた人向けに、公民館で上映したりして、楽しむような、本当に自主映画なのですが。

松枝:そういったなか、今回、アクターズ・ヴィジョン俳優ワークショップをしてもらうことになりました。西谷さんのようなキャリアの方に、いろいろ現場で必要な能力とか、教えてもらえるのは本当にありがたいことだと考えています。

西谷:試したいことがあるんです。それは30年、監督・演出家をやってきたことの集大成でもありますし、沢山の俳優たちと作品を作って行く中で、驚かされたこと、現場で感動させられた演技が持っているテクニックと言っても良いようなことを、伝授というわけではないのですが、したいと思っています。

松枝:テキスト読ませていただきました。あれを参加者たちがどう料理するのか考えるだけでもワクワクします。

西谷:なんでもないセリフでも見る人を感動させることはできますし、素晴らしい俳優たちはみんなそうしてきています。ので、今回のワークショップの目的と言いますか、頭の悪い言い方かもしれませんが、俳優たちには僕らを感動させる演技をしてほしいし、それにはたぶんコツみたなものがある。今回それをつかんでもらえればいいなと思っています。最終日には、ちょっとした作品を作るのをみんなでやろうかなと思っています。

松枝:西谷さんにとって良い俳優とはどのような俳優ですか?

西谷:化学反応を起こしてくれる俳優ですね。こちらがハラハラドキドキ見ていられる人、いろんな意味でエモーションを揺さぶってくれる人、それができるなら役にあっているかどうかはどうでもいいですね。

松枝:え、役にあって無くてもいいんですか?

西谷:はい。その役に合ってなささが、良い意味で化学反応になってドキドキする芝居になるのであれば、役に合ってなくても全然かまいません。

松枝:それは事前に計算できませんよね?

西谷:できない、できない。

松枝:じゃあ、たまたまキャストが決まって、これで良くなるのかなっていうのがあるほうが良いって言うことですか?

西谷:そうです。だからずっと不安ですよ。

松枝:でも不安だから良いものができるってことなんですよね。

西谷:そうです。不安の中で、より良い表現を生み出そうと最後まで努力し続けた結果として、思わぬドキドキしたものが出来上がるんだと思います。わかりきった芝居をやられるのが一番ダメですからね。予想外のハラハラが起きたとき、視聴者が必ず感動してくれます。いかにそれを生み出すかが、ぼくの30年間で培ってきた技術です。

松枝:それを体験できるのは貴重な機会ですね。僕も楽しみにしています。

西谷:僕も楽しみにしています。

松枝:西谷さんの過去作見ていたほうが良いですよね?

西谷:それはどちらでもいいです。

松枝:了解です。何はともあれ、何が起こるか不安のなかに居つつ、ハラハラドキドキが起こるのを僕も楽しみにしています。

(2022年7月20日、Zoomにてインタビュー)

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