演技指導者のボビー中西さんとアクターズ・ヴィジョン代表である僕マツガエが同志であることはみんな知っていることだから、その僕が「ボビーさんの企画した舞台を観に行ってください」なんて言ったとしても、それは「しょせん身内の宣伝」と思われても仕方がない。
けれども、今回の舞台「男が死ぬ日 The day on which a man dies」(2019年9月5日(木)-15日(日))は、もしあなたが俳優であったり、演劇人であったり、演劇研究者であったり、三島由紀夫のファンであったり、東洋や西洋や世界のことをいろいろ考えている人だったりする場合には、万難を排してでも見に行ったほうが良いと言える「理由」のある公演なのだ。
それは「面白いから」なんて「ふわふわした「理由」」ではない。だいたい僕は稽古も見ていないから「面白いから見に行ってください」なんて「嘘」は言えない。言えるのは、今回のボビー中西さんがプロデュースし、演出した「男が死ぬ日」という舞台は、例え「面白くなかった」としても「観るべき「理由」がある公演」だということだ。
「男が死ぬ日」を見るべき「理由」、それは次の4つ。
(1)テネシー・ウィリアムズが自らのスタイルを変革しようとして書き上げた冒険的作品だから
「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」という傑作戯曲を若くして生み出し名声を確立したテネシー・ウィリアムズであったが、優れた芸術家がみなそうであるように、テネシー・ウィリアムズも、自分のスタイルをぶち壊すような新しいことをやろうと常にもがいていた。そこで彼が出会ったのが、東洋の劇「能」であり、作家三島由紀夫であり、そして三島由紀夫の書いた「近代能楽集」だった。その出会った「東洋」を自分の中の「西洋」という文学的遺伝子に組み込もうとしたテネシー・ウィリアムズの野蛮で大胆なチャレンジが戯曲「男が死ぬ日」なのである。
(2)「自決」という「日本的な死に方」を「肯定」する「危険な戯曲」だから
テネシー・ウィリアムズの心をとらえたのは「能」という東洋的な劇の「形式」だけではなかった。彼が最もひかれたのは、死をマイナスに捉えない東洋的な発想、考え方、心であった。「西洋」は「自殺」を「病」であり「弱気」であり「残念な行為」と捉える。だが「東洋」=日本はどうか。切腹、特攻隊、その是非はともかく、「自殺」を「後退」としてではなくて、ある種の「前進」と捉える文化がある。それは少なからずテネシー・ウィリアムズの中にある「観念」でもあった。「自殺」という西洋が否定する「観念」。その「観念」を積極的に「意味ある行為」としてとらえても良いのではないか、そう思ったテネシー・ウィリアムズはそれをこの、形式的にも「西洋」と「東洋」の融合である戯曲「男が死ぬ日」のテーマに据えた。「積極的な自殺」、もしくは「芸術的な自殺」、「死を肯定する芸術行為」、そんなことをテネシー・ウィリアムズがぶち上げた危険な作品、西洋への反逆、それこそがこの戯曲「男が死ぬ日」なのである。
(3)「なかったこと」にされたテネシー・ウィリアムズの「幻の作品」だから
1959年に書き上げられたこの戯曲「男が死ぬ日」は、テネシー・ウィリアムズの亡きあとカルフォルニア大学に未発表の原稿として保管されなかったことにされた。2019年8月30日現在、この作品のことは日本版のウィキペディアにも載っていないし、英語版のWikipediaにも載っていない。このように「男が死ぬ日」というテネシー・ウィリアムズの戯曲が無かったことにされている理由については「自殺を肯定するような内容だったからだ」とAllean Haleは「The Secret Script of Tennessee Williams」で述べている。テネシー・ウィリアムズ自身が結局この自分の作品をどう思っていたのかはわからない。「この作品は早すぎた」と思っていたのかもしれない。だから「男が死ぬ日」から肝心の自殺肯定論を抜いた作品を1969年「東京のホテルのバーにて」という作品として発表している。「男が死ぬ日 The day on which a man dies」が「東京のホテルのバーにて In the Bar of a Tokyo Hotel」になる。それはタイトルの変更からも判る「冒険」の後退だった。「男が死ぬ日」という作品、その執筆は、「226の青年将校たちの決起」のように、志は正しくとも反乱軍として鎮圧されるべき「暴挙」であったのかもしれない。しかし、だからこそ僕らはテネシー・ウィリアムズの「西洋」への反乱…「男が死ぬ日」を目撃するべきではないのかと思うのだ。
(4)「世界初演の空気」を知っている「ボビー中西」が演出する公演だから
テネシー・ウィリアムズと三島由紀夫との交友が「男が死ぬ日」という戯曲を生んだ。そう聞くと、色々なことを知っている日本人はテネシー・ウィリアムズが「三島由紀夫の自決」に影響を受けて「男が死ぬ日」という戯曲を書いたのだろう、と早合点するかもしれないが、実は「男が死ぬ日」の初稿の執筆は「三島由紀夫の自決」に先立つこと11年前のこと。自死の意味については三島由紀夫とふんだんに語り合っていたテネシー・ウィリアムズだが、実際に三島が自決するだろうなんて思ってはいなかったのだろう。だから1970年11月25日「三島由紀夫の自決」その意志的な死はテネシー・ウィリアムズに衝撃を与えた。インスピレーションを得た。戯曲「男が死ぬ日」を書き直さねばならないと思った。テネシー・ウィリアムズは半分以上を書き直し、それは「男が死ぬ日」初稿初演に先立つこと7年も前の2001年にコネチカット州ホワイト・バーン劇場で上演される。演出はアクターズ・スタジオの重鎮、俳優であり演出家のアーサー・ストーチ。そして、この公演で三島由紀夫役ともいえる東洋人を演じたのは、当時アメリカで俳優修業を続けていた日本人、若き日のボビー中西であった。これがどれだけすごいことかわかるだろうか。時代の交差点に立っていたのがボビー中西さんだったのだ。彼がプロデュースし演出する公演「男が死ぬ日」を見なければいけない理由はまさにここにある。2019年に生きる僕らはテネシー・ウィリアムズに会うこともできなければ、三島由紀夫に会うこともできず、三島由紀夫の死に衝撃を受けてテネシーウィリアムズが書き直して上演された「男が死ぬ日」の世界初演に立ち会うこともできない。だが、その世界初演に出演し、あの日の空気を知っている男が上演する「男が死ぬ日」は目撃することができるのだ。それをしない理由があるだろうか。
以上、本公演「男が死ぬ日」を見たほうが良い理由をあげた。例えて言えば、ボビー中西さんが演出する「男が死ぬ日」は、75年周期でしか目撃できないハレー彗星のようなものだ。これを逃しては生きているうちには出会えない。75年後なんて僕らは生きていないし、ボビー中西だって居なくなる。テネシー・ウィリアムズにも三島由紀夫にも会えなかった僕らは今この演劇を「目撃」するしかないのだ。2019年9月5日から15日まで、すみだパークスタジオ倉(東京都墨田区横川1丁目1−10)にて上演。広田敦郎さんの翻訳も素晴らしく、三島由紀夫とテネシー・ウィリアムズの対談なんかも収録している「西洋能 男が死ぬ日」もぜひ購入して読んでもらいたい。あとがきを含めて読み応えあります。
最後に。昨日、僕の一番信頼する友人が稽古見学に行ったらしいのだが、とても面白いそうです。期待して見に行ってください。
公演詳細は次のURLより確認をしてください。
http://www.otoko-ga.com/
チケットは次のURLより
https://ticket.corich.jp/apply/99659/
(アクターズ・ヴィジョン代表 松枝佳紀)