アクターズ・ヴィジョンとは、劇作家・演出家であり、シナリオライターでもある松枝佳紀によって2016年に名付けられた、映画俳優を育成、鍛錬、研究する場所である。
であるが、アクターズ・ヴィジョンなどという洒落た名前を付ける前には、「4人の現役映画監督による俳優のための実践的ワークショップ」という説明的な名前で、2005年5月に立ち上げられた。14年前のことである。
志があったわけではない。
もともと劇団を率いていた松枝は、映画「ビーバップハイスクール」で有名な那須博之監督に見いだされ、弟子と言うか、息子のように可愛がられることになったわけだが、演劇をする、作品を作るのは、那須博之監督に見せるためである、というまでに、那須博之監督のことを慕うようになっていた、しかし、2005年2月27日、那須監督は肝臓がんで急死され、まったく生きる気力を失った松枝はやる気を失い、舞台公演のために押さえていた劇場を、もうキャンセルするわけにもいかず持て余すことになり、それをどうしようかと、当時、那須監督の紹介で松枝がシナリオライターとして師事をしていた木村俊樹プロデューサーに相談したところ、映画監督をあつめてワークショップをやればどうかと言うような提案をもらって開催したのが、2005年5月である。
那須監督の弟分であり、後に松枝が一緒に「デスノート」というヒット映画を作ることになる金子修介監督を筆頭に、まだ若手の熊切和嘉監督などを講師にして行ったのがその第一回のワークショップだった。
これが大盛況。俳優たちが如何に一流の監督たちに出会うことに飢えているかを知ることになる。
とは言うものの、松枝はシナリオライターを目指しており、ワークショップを本業にするのは癪なので、監督がたの要請があるときにのみ、不定期に、このワークショップを開催をしていた。もともと演劇しかやってこなかったし、ツテが無かったということもある。
しかし、そのうち、実績を少しづつ積み上げると、講師をやってくれる人も増え、まだ一本とか映画を撮っていない駆け出しの監督が、一緒に居るうちにどんどんメジャーの監督になるのを見たりして、ワークショップとしての広がりを持つようになり、また、監督たちも、良い役でうちのワークショップ参加俳優を現場に呼んでくれるようになったりして、キャスティングの実績も積んでいった。
そういう中で、荒戸源次郎監督に出会う。
荒戸源次郎と言えば、伝説のプロデューサーである。日活を首になりくすぶっていた鈴木清順監督にツィゴイネルワイゼン、陽炎座、夢二といういわゆる大正ロマン三部作を撮らせ、ベルリン国際映画祭での審査員特別賞受賞など、鈴木清順監督を世界的な監督とするまでにプロデュースした。またそれ以外にも阪本順治、大森立嗣、渡辺謙作などの監督を育て、大西信満、新井浩文などの俳優を育てるなど、俳優教育というか、人間教育というか、大物を育てることに非常に興味と情熱と哲学を持っている人が荒戸源次郎監督であり、彼に松枝は傾倒し師事することになる。具体的には、日々の生活こそが創作の原点であるとの考えの元、俳優修業で、すべての時間を満たすべく俳優たち数名とともに共同生活の場を、東京は荻窪に作り、その場所を「四面道館」と名付けて活動をすることに。この生活の中で、俳優教育、あるいは映画、演劇創作について作り手が持たねばならない哲学や姿勢、気付きはとても大きかった。
しかしながら、2016年、荒戸源次郎監督は帰らぬ人となる。
「映画には人間が必要である」ということを最後まで強く思い、映画や演劇を作るにふさわしい人間を育てることに情熱を持ったのが荒戸源次郎と言う人物であった。
その遺志を汲み、破天荒で面白い人材、野蛮で魅力的な存在、どうしようもなく人間味にあふれ愛さずにいられない人物、そういう「人」を育てていこうと、様々な映画監督の手を借りながら、現在、ほぼ月一でワークショップを開催している。
以下に、「4人の映画監督による俳優のための実践的ワークショップ」という場所から、「アクターズ・ヴィジョン」という会社に名前を変えたときに書いた「アクターズ・ヴィジョン設立趣意書」を載せる。
〇アクターズ・ヴィジョン設立趣意
現代日本において、俳優教育は軽視されている。
「俳優/女優は教育されて育つものではない。放っておいても才能ある者は見いだされるものだ」という強固な考えが広く根付いている。
その結果として、二つのことが起きている。
ひとつは、見いだされた特定の才能たちばかりがどの作品を見ても飽きるほどに出演しているという事態。
もうひとつは、見いだされることのなかった才能たちが、オーディションなどに参加する機会もないなか、わずかな可能性を期待して映画監督が講師をするワークショップに殺到しているという事態。
ワークショップに参加できている者はまだ良い。それ以外の多くは、映画の現場とは縁もゆかりもない偽物の演技指導者の下で、現場で必要とされる演技とは程遠いことを教わっている。
そのような者たちは悲惨で、訓練している間の時間を失うばかりか、嘘を教えられることで本来持っていた才能も同時に失ってしまう。
特に若い時期には、誰の言葉を信じればよいかわからないので、学ぶ場所、頼る場所を間違えて、年月と才能を無駄にする可能性が非常に高く、時には再起不可能なほどダメージを受ける。
実際そのような悲惨な事例を沢山目にしてきた。
今回「アクターズ・ヴィジョン」と名付けた、演技スクール、演技ワークショップを立ち上げる。
それは、上に述べたような俳優/女優をめぐる劣悪な環境を改善したいという思いが根本にある。
俳優/女優に限らない話だが、能力ある者、努力する者が正当に報われる健全な社会を築かなければならない。俳優/女優の卵たちが、彼ら/彼女らの持っている豊かな可能性を無駄にすることがないように、そして、スター俳優になる可能性のある卵たちを間違いなく育てられるように。
才能ある俳優/女優たちを一人でも多く世に出し、日本映画を活性化することができるとしたら、これほどうれしいことはない。
「アクターズ・ヴィジョン」と言うからには、俳優の在り方についてのヴィジョンをもっている。
それは「人間には「映画」が必要であり、映画には「俳優/女優」が必要である」ということであり、「俳優/女優は「映画」に「命」を宿す決定的に重要な存在である」ということである。
さらに、教育と言うことについていえば、「答えは現場にある」に尽きる。
あれこれ、演技についての正しさを論理的にこねくり回すよりも、それが現場で必要かそうでないか、選択の基準として、それが一番明確であり、大事ではないかと思う。
そのためには、講師は、商業的な立ち位置で、自己のこだわりを持って映画を創作し続けている映画監督たちにお願いするのが最も正しいことのように思う。
しかも、教育は、映画を作ることそのものであるのが理想だ。
したがって、「アクターズ・ヴィジョン」では、第一線で活躍している映画監督を講師に、映画を作る中で、俳優/女優たちを教育する場所にしたい。
一度参加した俳優/女優たちのフォローも大事だと思っている。
映画を一本やったら、俳優/女優が一丁あがりで、あとは自分たちでご自由にやってください…というのは教育機関としては無責任ではないかと思う。
映画を一本やったぐらいではたいして何も変わらない。多くの先輩たちがそれを示している(もちろん嬉しい例外もある)。
継続的に映画に関わることができるように、その機会を作っていけたらと考えている。
具体的には、制作会社、芸能事務所、映画監督、演出家などに、参加者の存在を周知していけたらと思っている。
大事なのは「自分なら映画に命を与えることができる」という迫力を持っていること。そういう俳優/女優を、より多くの人の目にさらせるような場所に連れていくこと、それを地道に続けることで、能力あるものが世に出るという、健全な環境を整備することに貢献したい。
「アクターズ・ヴィジョン」において最も重要なのは、日本映画界の、俳優育成における環境面の改善である。
そのためには、俳優育成の利益を囲い込むことなく、広く協力者と賛同者をつのり、映画製作の試行錯誤をともにするが大事だろうと思う。制作会社、芸能事務所、映画監督、演出家などと、いろいろな対立や思惑を超えて、より健全な「場所」をつくるために連携していければと考えている。
2016年2月
アクターズ・ヴィジョン代表
松枝佳紀(まつがえ・よしのり)