本インタビューは、2019年12月にアクターズ・ヴィジョンで行った「枝優花監督による俳優のための実践的ワークショップ2019」に向けて行われたインタビューです。ワークショップは終了していますが、枝優花監督がどのようにして映画監督になってきたか、何を大事にしているかがわかると思いますので公開します。インタビュアーは、アクターズ・ヴィジョン代表の松枝(マツガエ)です。
松枝:いきなりなんですが、枝さんにとって映画ってなんですか?
枝優花:それ(インタビューの)最後の質問じゃないですか笑
松枝:そうですよねえ笑
枝優花:私、物心ついた頃から父親には映画館に連れてってもらっていました。近所に友達も居らず、人見知りだったので、テレビはよく見ていたし、映画といっても、最寄りの駅が歩いて一時間とかそういう場所だったので、映画館が近くにあるわけでも無いので、レンタルしてきたものとか、たまに行く映画とか、そういうものが友達、みたいな感じで。自分にとって映画って何かと言われるとそういうことになると思います。そして、今もそういう気持ちで映画を見たり作ったりしてます。
松枝:お父様が良く映画に連れて行ってくれるというのは、お父様が映画関係の人だったとか?
枝優花:いえいえ、ただ単に映画が好きなおじさんです笑
松枝:連れて行ってもらったのはどんな種類の映画だったんですか?
枝優花:洋画しか見ない父親だったのでハリウッド映画とかイギリス映画とかの分かりやすいものが多かったです。スターウォーズとか。スターウォーズを初めて見たのは5歳でした。全然意味がわからなくて。基本的に吹き替えではなく字幕で映画は観たいという父親のルールがあったんですよ、吹き替えは違うものだと。
松枝:娘は5歳なのに笑
枝優花:でもディズニーだけは吹き替えOKだったので吹き替えで見ましたね。見た時はこんなに見やすいものか!と
松枝:ですよね(^^;
枝優花:びっくりしました(笑)。
松枝:じゃ、子供の時の映画体験は、字幕問題もあるから「難しい」もんだと言う感じなんですかね。
枝優花:ですね、それも良い体験でしたけどね。
松枝:理解できないものを見て嫌にはならなかったんですか?
枝優花:理解ができないと頭がパンクして眠くなる、いわゆる飽和状態だったんです、「もう無理」みたいな(笑)けど、6歳の時にスピルバーグ監督の「AI」を映画館で見て、感動して、感動して。自分と同い年位の子が主人公で頑張っているのも大きかったですし、映画ってハッピーなものしかないと思っていたけど、こんなにバッドエンドというか、どうしたらいいか分からないっていう、そういう複雑な感情に6年間生きてきて初めてなった瞬間でした(笑)それまでは名前をつけられる感情しか知らなかった。アンパンマンは絶対勝つし(笑)。人生には色々があるというのを目の当たりにして、かなりカルチャーショックを受けました。
松枝 :テレビドラマとかは?
枝優花 :ドラマも見ていました。それなりに周りの友達も見ているから、一緒になってみていて。でも、やっぱり、最近昔のドラマとかを見返しているんですが、今の自分のベースになってるモノが多いなと。
松枝:それは例えばどんな作品ですか?
枝優花:わたし、木皿泉さんの脚本とか大好きで。木皿さんのドラマって、青春を描いてるけどぜんぜん青春じゃないというか、いつか終わるものという前提で必ず描かれていて、なんか人の悪とか闇とかをそのまんま晒すというよりも、何らかの事情があって、そうなってしまったのだということとか、表裏一体であるということを常に描いていて、みんなが知っているテンプレートの青春みたいなものを絶対描かない。私はそういうものが好きだったので、最近、昔好きだったドラマとかを見返していて、これが無いから最近のドラマ見ないんだなと気付いたというか。青春とはこうあるべきみたいなのがあまりにも多いから。もっと不条理とかが好きだけど、そういうのがいまのドラマや映画には昔ほど無いような気がする。
松枝:ないから作る側に回っているというのはあるんじゃ無いですか?
枝優花:あ、そうです。そうです。ないから作ってやりたいと思ってたんだなと最近気が付きました。
松枝:でも映画監督になる前は、俳優を目指していたとも聞いたことがあるんですが。最初っから、作る側というわけではなかった?
枝優花:俳優になりたいというか、映画や映像に関わりたいというのが最初の動機ですね。でも関わりたいけど、どうやったら関われるか分からなくて。そんな時に俳優のワークショップを地元の群馬でやってくれる先生が来てて。そのワークショップに参加したのが最初でした。
松枝:たしかに子供にとって映画作りたいと思ったときに、どうしていいかわからないですよね、プロデューサーがいて監督がいて、カメラマンもいて、俳優たちも居て、みたいな映画制作の分業体制のことは映画を見ただけではわからない。まず最初は、俳優こそ映画だと思うのも無理はない。だから、映画作りを目指す人が、まず最初に俳優を目指すというのは、ひとつのパターンとしてあるように思います。
枝優花:そうですね。私もそのパターンだったのだと思います。
松枝:その演技のワークショップに枝さんが参加したのはおいくつの時ですか?
枝優花:小学6年生。12歳ですね。回覧板でワークショップのお知らせが回ってきました。東京から先生が来るというので「これだ!」と思って参加しました。
松枝: 凄いですよね。12歳にしてこれに参加するのが映画に近づく道だと思ったんですもんね。
枝優花:必死だったんです。やっぱりテレビ見ても雑誌見ても「東京に行かないと始まらない」っていう思いがあったので。東京に行かねばならないとして、自分がひとりで東京に行けるまでは、あと10年くらい待たないと無理だなと思っていたところに、東京から先生が来た。
松枝:それはもう参加しないわけには行きませんね。
枝優花:そうなんです笑。
松枝:で、その演技レッスンって、何日間ぐらいのワークショップだったんでしょうか? うちみたいに3日とか4日とか?
枝優花:いえ、高校2年生までやっていました。
松枝:えええ!? 6年ぐらいですか、だいぶ長期にわたりましたね。
枝優花:ですね笑。そのお陰でか、自分がやりたいことが俳優じゃないかもと途中で気付くことが出来たのかも知れないです。
松枝:なるほど
枝優花:自分は「物語を作る」とか、裏の仕事のほうが好きなのかもって気付いて。「何かを体現する」よりも「何かをつくりあげていく」のが好きで、「芝居をする」よりも「芝居を見てる」のが好きだってことに気付いたんです。人の演技を見るのがとても面白くて。この俳優を使ってどんな物語を作れるだろうかとか、そんなことばかり気になってしまって。そんなんじゃ俳優は向いてないなとも思ったので、だから俳優は一度やめて、受験勉強して東京の大学に行き、映画の勉強をしたいと思って・・・
松枝:映画の専門学校ではなくて、普通の四大に行かれたのはどうしてなんですか?
枝優花:専門学校に行く勇気が無かったんです。
松枝:勇気?
枝優花:もしかしたら、映画監督が向いてないと言う可能性もあるじゃ無いですか。 やってみたら映画は映画でも配給がやりたくなるかも知れないし、現場を実際にやってみないと自分が本当に監督という仕事をやりたいと思えるかどうか分らなかったし、あとは単純に親も「お金をちゃんともらえるところで働いてくれ」と言っていたし、現場も知らないで判断しない方が良いと思ったのもあって、まず、つぶしのきく四大に入って、映画サークルとかに所属して、そこからツテで現場に入ったりして、なんとなく楽しいと思えるようになって、ようやく映画を作るところにたどり着いた、という感じです。それが18歳でしたね。
松枝:その時に「少女邂逅」の脚本を書いたのですよね?
枝優花:そうですね。
松枝:でも「少女邂逅」を撮るのはまだ先ですよね。
枝優花:そのころ60分位の映画を一本監督として撮ったんですけど、それがうまくいかなかったというか、自分自身が分かってなかったというか、撮り終わってから失敗だったと気づいた。自分に何かが足りないと気付いて、それから一年間は400本くらい日本映画を見続けて勉強して、その時に書いたのが「少女邂逅」です。その書き上がった脚本を、先輩に読んでもらいました。すると「面白いけど今のあなた達の実力でやっても陳腐なモノになるし、もっと映画のことを分ったときにそういう仲間を集めて撮る方がいいかもよ」と明確に言われて、「たしかに」と。
松枝:すごいですね。そのアドバイスしてくれた人も、それに従って書き上げた最高の脚本を横に置いて、撮る技術を磨こうと思える枝さんも凄いです。で、どうやって技術を磨いていくんですか?
枝優花:別に書いた脚本で撮った作品を映画祭に出して、その審査員を松居大悟監督がやっていて、出した作品を凄い良いって言ってくれて、いろいろ相談とか乗ってくれて、舞台手伝いに行ったりして、松居さんの経験なんかも教えていただいて、現場に入ってスタッフしないと駄目だと思って、現場に行って助監督とかしながら知識と経験を貯えていって、あと、子供の時に受けていたワークショップの先生がその頃売れ始めてしまっていたのですが、その先生に相談したところ、「そんなにやりたいんだったら、うちでアシスタントやって演出の勉強すれば」と言ってくださって、5年くらいそこで勉強したという感じです。
松枝:そういう風に最大の効果を得るために遠回りできるっていうのは逆に天才というか。天才って最短距離で走る人が天才に見えるけど、遠回りこそが近道だと判断して行動できるのが凄いです。
枝優花:自信が無かったんですよ。助監督やったことないのにとか、他の部署をやったことないのに、あれやってこれやってって監督として指示出すのが・・・把握できてないから言えないってのがめっちゃ怖くて。それに、自分が学生映画で自主映画やっていたから言うのもあれなんですけど、自主映画の独特な馴れ合い感もすごい嫌いでしたし、なんか、こう、自分たちの島だけが良い場所っていうのも、もっと凄いところなんて世間にはいっぱいあるのにそんなこと言っているのが、井の中の蛙みたいですごく嫌でしたし、サークルのみんなは好きでしたけど、映画を撮りたいから入っただけなので、飲み会とかは行ってなかったですし、みんなも大目に見てくれていた感じですね(笑)
松枝:たしかに仲良くなることに癒されちゃうのは良くない。
枝優花:それに私は親が厳しかったので、大学生活の四年の間に映画業界で食っていける可能性を見つけられなければ就職と言われてたので、そういう圧を感じながらずっとやってました。
松枝:いい映画を撮るって事だけじゃなくて、職業としての映画監督を確立しないといけないっていう気持ちもあったんですね。
枝優花:はい。
松枝:しかし、そうやって遠回りしていた自分に「少女邂逅」を今撮ろう!とゴーサインを出したきっかけはなんなんですか?
枝優花:それは、あるとき、助監督をやったときにつらくて、そんときの、チーフ助監督が本当に怖くて、その人が人を死角に追い詰める怒り方をするんですよ(笑)こっちが「すみません」としか言えない状態に追い込まれるというか、そんときに怒られたことは、いま思えば、そんなに悪いことじゃないと思うんですけど(笑)、その時は精神的にやられながら助監督の仕事をやっていたんですけど、ある日をきっかけにその方と仲良くなって、映画の話をして、お互い映画が凄い好きだと言うことが分って仲良くなったというか、その時に「いま幾つだ?」と言われて、21歳とかだったんですけど、その方は40歳を過ぎていて、「助監督とか一生やってたいの?」と言われて、やってたくないと言ったら「じゃ、映画撮った方が良いよ、二十代のうちに絶対長編映画を1本撮れ、俺はいま40で、過去に短編映画は2本ぐらい撮ったけど、海外で賞とか取っても所詮短編映画だし、20代の感性は戻ってこないし、40になったら助監督ができるようになってしまって、助監督をやってるほうが楽だし、また一から監督となると重い腰を上げるのも無理だし、いろんなことが俺にはもう無いんだ」と言われて、「20代のいましか無い感覚のうちに撮れ」と凄い言われて、その時は分らなかったんです、ピンとこなくて、でもやっぱりその人に言われたとおり助監督の仕事とか忙しいから、だーっと仕事に追われてすぐに時間が経っていって22歳になったときに、十代の時に抱えていたイライラとか不満な気持ちが薄れていくのを感じたというか、生きていくのがわかってしまったというか。てなったら、「あ、もう撮れないかも、あの「少女邂逅」を書いたときの19歳の気持ちを思い出すのは無理なのかも」と思って、それで昔のパソコンを引っ張り出してきて、これやらねば手遅れになると。だから今だ!とかではなく、感覚がなくなってしまうのをマズいと思ったのが撮影しようと思ったきっかけなんです。
松枝:技術を身につけなければとシナリオを塩漬けにできる根性と、その一方で時間が過ぎると別のことが始まる、それが始まるその前にという判断と。本当にバッチリなタイミングでしたね。
枝優花:結果良かったです(笑)、一回険しい道を通って、こんなにしんどいんだとか、こんなに寝れないの?とか、ノイローゼになるわとか、経験して監督やってるから、支えてくれているスタッフたちに感謝というか、ありがたい気持ちが大きいんです。やれてる事が本当に楽しく感じます。本当に、ありがたみがあります。
松枝:撮ってみて、手応えってどうなんですか?
枝優花:撮ってからの2年くらいで色々な心境の変化がありました。初号試写の時は、あまりに思い入れが強すぎてキャストもスタッフも誰も映画を客観視できなくて。私は「少女邂逅」を作るので貯金を使い果たしてしまったので、働かなければ行けなくて、助監督の仕事やっていて、もう寝て無くて。そんな状態で見たからかなのか、これが良い映画なのかそうでないかもわからなくて。結構ショックだったんですよ。良い映画かどうか分らないと私が思ってるだけじゃなくて、スタッフもそう思ってる、やばいと(笑)、でも、公開が一週間後でしたから、ちょっとだけしか手直しが出来なくて。それで公開が始まっても、わたしは撮影所で働き続けていて。でも、そのうちに評判とかが聞こえてきて、それで思い出したというか、作り手はこういう思いだけど、お客さんはそういう所を見てないとかあるじゃないですか、「このカットが」とかこっちは気になってるけど、お客さんとかはそれとはまた違うところで感じてたりするってというこを思い出して、あ、そうだ、作品を世に出すって言うのはそういうことだったと思いだして、でも、やっぱり一年ぐらいはまともに見れなかったですね。ここができてないとか、なんでこうした?とか、ばっか見えてきて、みんなが褒めてくれているけど、それはみんなが優しいからで、みたいな、若くて女の監督だから周りが優しくしてくれるっていうマイナス思考になってました。褒められ慣れてなかったから、褒められることに対して身構えていて。で、でもなんか、信頼する映画会社の先輩が、その人は映画とかにはすごい厳しい人なんですが、その人から見たよとLINEがあって、怖すぎてLINEが開けなかったんですが(笑)、公開が終わってから開いてみたら、その人には刺さっていて、こう言うのが良かったとか、自分がちゃんと考えていた演出が全部伝わっていて。間違ってなかったのかなとか、若干自信を取り戻してから、ちゃんと、世間の評判が、少しずつ、受け入れられるようになってきたというか、海外の賞とか取って、外の国の人が「ここが良かった」とか言ってくれて、私はこの映画は日本人にしか伝わんないのではないかと思っていたけど、そんなことはないと分った瞬間に「言語を越える」ってこう言うことなんだって実感できて、それが自分のやりたかったことだったので、嬉しかったですね。
松枝:言語を超える。まさに映画の醍醐味ですね。
枝優花:本当にそうですよね。自分が高校生の時に、はじめてフランス映画を見てびっくりしたというか、私が感じていたことをなんでフランス人の子も感じてるんだとか、フランスの十代の子が、自分と同じようなことで悩んでいるシーンを見て凄いって思ったのを、それって逆に自分も出来るというか、海を越えて、外の国の子がえっと思えるものを作れているというのを海外の映画祭で何回か経験して、むちゃくちゃ嬉しくて、あ、なんか自分、こういうことのために映画撮ってるんだみたいになってから、なんか段々、まともに自分の映画が見れるようになりました。それまではもう、自分の映画は恥ずかしくて見れなかった。
松枝:今ではちゃんと自分の映画「少女邂逅」を「良い映画を作れた」と評価できますか?
枝優花:拙いところとかありますけど、そういう所を置いておいて、なんの邪念もなく自分の好きな物を撮ったんだなというのは、逆になかなかできないことだって今なら分るんで、評価して良いところだろうなとは思います。やっぱり、いろんな制約があったり、自分の中で負けちゃうことってあるじゃないですか現場って。しょうがない、ここ諦めようとか。でも、意外と諦めないで、みんなに嫌がられつつも強制しながら撮ったりとか、ちゃんとできている。信念を曲げないって言うのは出来るようで難しくて、今見返すとそこは守れてたなと思います。「少女邂逅」以降、いろいろお仕事をいただいていて、その中で、どうしても都合で折れなきゃ行けないこともあるし、後々折れないといけないだろうなと言うことは事前に察知して先に折れておいたりして事故を防ぐとかやっていますが、折れることって意外と簡単で信念を貫くことの方がキツいと思っていて、それが「少女邂逅」のときは出来ていたんだなと、初心を思い出して、今の仕事を考えるときに、多少の妥協は覚えてしまっているので、もう少し頑張っても良いんじゃないかとか反省したりもします。
松枝:でも偉いですよね、折れなかったのは。ほんとうに。
枝優花:「少女邂逅」のときも撮り終わるまでに色々あったので、折れたくなったときも沢山あったんですが、ある時、脚本の相談を野島伸司さんにしたんですね。その時とかも、あんまり具体的なことは、あえて野島さんはおっしゃられないで、唯一言われたのが、「これ撮りたいんだったら一個も折れるな」と「折れたら折れっぱなし人になってしまう」と。「俺みたいにおっさんが折れるのは良いんだ。あとが決まってるから。でも20代で折れたら、ずうっと折れ続けるぞ」と言われて、やたら説得力があったので、「はい、折れません」と答えたんです。
松枝:なるほど、その野島伸司さんの言葉もあるし、「少女邂逅」は枝優花監督が折れなかったことの勲章ですね。
枝優花:そうですね。良かったと今は思っています。
松枝:次の質問は、ちょっと角度違うのですが、俳優ってどうですか? 枝監督ご自身が俳優を目指していたこともあり、俳優が道具じゃなくて、生ものだということも監督ご自身が強く判っておられるのは前提として、ご自分の撮りたいものを実現しようとする中で、俳優にそれをどのように伝達しようと心がけているんでしょうか?
枝優花:同じひとつの映画を作るチームとして、良く話し合いますね。そして、俳優と言っても、ひとりひとりが個性も考え方も違う人間なので、その方がどういう信念を持って俳優をやっているのかとかどういう性格なのかによって歩み寄り方も、アプローチの仕方も変わるなと思っていて、それを考えたり、実際に方法を変えて俳優個人個人と接するのが私は楽しくて、そのシーンに出てないのにその人と話すとか、その後に続くシーンに出てくるからじゃあどうしようとか、関係ないけど話すとか、ファミレスのシーン何を呑んでると思うんだとかアイディアを投げかけると色々くれたりとか、あたしはセリフを一言一句間違えるなとかそういうタイプではないので、シーンさえ合っていればいいので、ここで「俳優の力を信じてる」とか言うと無責任ぽいんですけど(笑)、それまでに関係を構築さえ出来ていればやれると思っていて、それぞれに嘘さえつかなければっていう感じなので「百パーセントのパフォーマンスが出来る状態にどうやってもっていくか」ということのほうが自分の演出なのかなと思ってます。
松枝:世間的には、俳優は演技する職業、嘘をつく商売のように思われているかもですが、僕は常々、俳優こそは嘘をついてはいけない商売だとうちのワークショップに来る俳優たちには言っています。作り物である映画の中で、俳優が本当の反応をするからこそ、観客たちにその物語が信じてもらえるのであって、俳優が嘘をついたらなにも始まらない。だから、枝さんが俳優に「嘘さえつかなければ」と言うのは、本当に我が意を得たりという気持ちです。
枝優花:たとえばブチ切れるシーンとかで、切れたあとに「なにかあんまり達成感がない」とか役者が思っていようが、それはどうでも良いんです。だけど、怒ってないのにキレた芝居をしてしまったとかは許せない。そんな芝居は見ていてすぐに判るし、お客さんはもっと分かるんですよね。手の動きで(編集が)繋がらないというのはもしかしたら編集でなんとかなるかもしれないけど、心理的に繋がってないみたいなのは最悪です。なのに役者は感情が上がっていくシーンであればあるほど、それが嘘であっても、そこに気持ちよさを見いだして、そこに溺れていってしまう。それはこっちでコントロールしてあげなきゃいけないし、それ以前に、感情に嘘つくことをしない俳優と組みたいです。
松枝:もし、キャスティングした俳優が、現場で、よかれと思って嘘をついてしまった場合、枝監督はそれを具体的に指摘するんですか?
枝優花:「嘘をついてしまった」と自分でも自覚があって直せる子にはガッと言います。けれども、無自覚な子にはアプローチの方法を変えます。だから、具体的に指摘するのが良い場合もあればそうで無い場合もある。人間みんな性格が違うから人それぞれだし、どの人にどう言えば伝わるか、それを考えるのも非常に私は好きだし、楽しいなと。
松枝:その作品がどうなるかは、キャスティングで決まってる、というように言う監督がたも居られます。
枝優花:言わんとするところは判ります。しかし、それは達者な役者さんの話であって、私の現場に来るのは、芝居経験も浅い、若い子の場合が多いので、キャスティングでおおよそ決まっていると達観するわけにはいきません。クランク・インする前に、いろいろやっておかないといけない。もちろん、芝居できるかどうか以前に、その人の持っている味というのがあるので、それを求めてキャスティングする場合も多いですし、キャスティングで決まるとか決まらないとかは一概に言えませんね。場合によります。でも、私の場合は、キャスティングしたあとも、本番前も、本番中も、できるだけベストに近づくように、みんなで話し合って、自分の考えにこだわりすぎずに、前に進むことをやめないようにしています。ワークショップではそういうことをいっしょにできる俳優たちと巡り会えると良いなと思っています。
(2019年12月6日、新宿御苑事務所にて)